秦の時代の食卓

先月、ペナンの本橋先生が来星。アジア文明博物館で開催されている兵馬俑展に行き、秦の始皇帝の健康おたくっぷりを語り合う(というよりあれこれ教えてもらう)。楽しすぎる!

始皇帝は、とにかく長生きがしたかった。というより、ずっと生きていたかった。だから、方士と呼ばれる人たちに不老不死の薬を探させたり、朝露を集めて飲むという健康法にはまったり。けれども、その努力の甲斐なく50歳で命尽きる。仙薬のひとつとして服用していた水銀が始皇帝の命を縮めたとか、熱病にかかったとか、いろいろな説があるようだけれど、本当のところは分かっていない。地方への巡幸のさなかというから、もしかすると過労による突然死?などと思ってみたりする。始皇帝はまだ驪山のふもとに眠っている。そのお墓がいつか掘り返されることがあれば、死因が分かる日がくるかもしれない。

ふと、2200年前の食生活に思いを馳せる。始皇帝は、毎日どんなものを食べていたのだろう? 副葬品は兵や馬だけではなく、お魚をくわえた水鳥だとか、エンターテイナーの俑などもあるのに、豪奢な宴を思わせる副葬品はまったくない。始皇帝は食べることにはあまり興味がなかったとみえる。とはいえ、毎日何かしら食べてはいたはず。なぜ、そんなことを考えたかというと・・
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にんにく、である。「蒜頭壺」なる、にんにく型の青銅器の壺があるのだ。あれ?にんにくって漢の時代にシルクロードを通って西から伝わってきたんじゃなかったっけ?

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かなり本筋から離れていると思いつつ、ちょこっと調べてみる。分球していない小蒜(ノビルのようなものだろうか)は中国に自生していたようだが、分球形のにんにく(大蒜)はやはり漢の時代に中国にもたらされた様子。とすると、これはにんにくに似て非なるもの??それとも、秦は比較的西のほうの民族だから、中国に本格的ににんにくがやってくる前に、それこそ「元気になる食べもの」として重宝されていたのだろうか……。
にんにくは謎のままだが、今回の展示で分かったことがひとつ。始皇帝は、中華鍋で炒めたような料理は食べていなかった、ということ。秦の時代はちょうど青銅器から鉄へと変わる時代。鉄はまだまだ貴重品で、金と同じくらい高値で取引されていたという。今私たちが思い浮かべる「中華料理」とは、ずいぶん違うものを食べていたのだろうなあ。

▼兵馬俑展 ※10月16日まで
場所 :アジア文明博物館2F特別展示場(1 Empress Place) 
    ※ラッフルズプレイスの駅から徒歩5分。
日本語ガイド :火~金の13:00~(10月14日まで)

ただいま、フラトンホテルとのこんなコラボも。「兵馬俑展開催中、アジア文明博物館のチケット購入レシートで、フラトンホテルのレストランが20%OFF」。これはかなりお得。
Commented by コクリコ at 2011-10-05 07:09 x
古代インドの食事は、伊藤武・香取薫「チャラカの食卓」に詳しいですが、中国についてもそういう本があるでしょうね。
古代青銅器や陶磁には、鶏とか、動物のモチーフがやたら多い。始皇帝は思いっきり肉食だったような。。。。多分、塊のまま、茹でたり、焼いたりしていたんでしょうね。どんな味付けだったんでしょうね。
Commented by xizi62 at 2011-10-18 16:33
コクリコさん、コメントに気づかず失礼しました。
その手の本はけっこう持っていたりするのですが、始皇帝個人の食生活について書かれているものはみつからず、です。
肉は、庶民がいつも口にするようなものではなかったにせよ、身分の高い人はよく食べていたのでしょうね。想像するしかないですが、始皇帝=肉食というのはイメージにもぴったり。ちなみに、私が読んだ小説で始皇帝が食べていたのは、いわゆる羹(あつもの)でした。野生の動物の肉は、柔らかく煮るのに向いていたかもしれません。
by xizi62 | 2011-09-23 09:57 | その他 | Comments(2)

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