リンク
●instergram
「アジアのごはんと、和食器と。」 ●日経ウーマンオンライン 「カラダが教えてくれる食生活」 45回連載(2009.9〜2010.8) ●「妊婦は太っちゃいけないの?」新潮文庫 2011年発行。2004年に上梓した単行本の内容を改訂しました ●プロフィール ●連絡先 検索
ライフログ
お気に入りブログ
カテゴリ
全体 中医学ごはん&薬膳 食材&調味料 いつも食べているもの 旅先のごはん&食材 外で食べる&買う インド料理 その他の家庭料理 発酵 そっくり アジアのスイーツ アジアの果物 ワークショップ 子ども料理科学教室 お知らせ その他 食べものの温度 以前の記事
2014年 09月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 10月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 more... 画像一覧
タグ
|
2011年 09月 23日
先月、ペナンの本橋先生が来星。アジア文明博物館で開催されている兵馬俑展に行き、秦の始皇帝の健康おたくっぷりを語り合う(というよりあれこれ教えてもらう)。楽しすぎる!
始皇帝は、とにかく長生きがしたかった。というより、ずっと生きていたかった。だから、方士と呼ばれる人たちに不老不死の薬を探させたり、朝露を集めて飲むという健康法にはまったり。けれども、その努力の甲斐なく50歳で命尽きる。仙薬のひとつとして服用していた水銀が始皇帝の命を縮めたとか、熱病にかかったとか、いろいろな説があるようだけれど、本当のところは分かっていない。地方への巡幸のさなかというから、もしかすると過労による突然死?などと思ってみたりする。始皇帝はまだ驪山のふもとに眠っている。そのお墓がいつか掘り返されることがあれば、死因が分かる日がくるかもしれない。 ふと、2200年前の食生活に思いを馳せる。始皇帝は、毎日どんなものを食べていたのだろう? 副葬品は兵や馬だけではなく、お魚をくわえた水鳥だとか、エンターテイナーの俑などもあるのに、豪奢な宴を思わせる副葬品はまったくない。始皇帝は食べることにはあまり興味がなかったとみえる。とはいえ、毎日何かしら食べてはいたはず。なぜ、そんなことを考えたかというと・・ ![]() にんにく、である。「蒜頭壺」なる、にんにく型の青銅器の壺があるのだ。あれ?にんにくって漢の時代にシルクロードを通って西から伝わってきたんじゃなかったっけ? ![]() にんにくは謎のままだが、今回の展示で分かったことがひとつ。始皇帝は、中華鍋で炒めたような料理は食べていなかった、ということ。秦の時代はちょうど青銅器から鉄へと変わる時代。鉄はまだまだ貴重品で、金と同じくらい高値で取引されていたという。今私たちが思い浮かべる「中華料理」とは、ずいぶん違うものを食べていたのだろうなあ。 ▼兵馬俑展 ※10月16日まで 場所 :アジア文明博物館2F特別展示場(1 Empress Place) ※ラッフルズプレイスの駅から徒歩5分。 日本語ガイド :火~金の13:00~(10月14日まで) ただいま、フラトンホテルとのこんなコラボも。「兵馬俑展開催中、アジア文明博物館のチケット購入レシートで、フラトンホテルのレストランが20%OFF」。これはかなりお得。 ■
[PR]
by xizi62
| 2011-09-23 09:57
| その他
|
Comments(2)
古代インドの食事は、伊藤武・香取薫「チャラカの食卓」に詳しいですが、中国についてもそういう本があるでしょうね。
古代青銅器や陶磁には、鶏とか、動物のモチーフがやたら多い。始皇帝は思いっきり肉食だったような。。。。多分、塊のまま、茹でたり、焼いたりしていたんでしょうね。どんな味付けだったんでしょうね。
コクリコさん、コメントに気づかず失礼しました。
その手の本はけっこう持っていたりするのですが、始皇帝個人の食生活について書かれているものはみつからず、です。 肉は、庶民がいつも口にするようなものではなかったにせよ、身分の高い人はよく食べていたのでしょうね。想像するしかないですが、始皇帝=肉食というのはイメージにもぴったり。ちなみに、私が読んだ小説で始皇帝が食べていたのは、いわゆる羹(あつもの)でした。野生の動物の肉は、柔らかく煮るのに向いていたかもしれません。
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||